先祖代々が築きあげた御家が
坂道を転がり落ちるように
滅びへと向かっていった。
その当主の
「やるせなさ」
「どうしようもなさ」に
心を寄せる人はいたのですね。
そして私は、
彼の人生を魂目線でみたとき、
その覚悟に心が震えます。
勝頼公は
名前に表されているように、
武田家ではなく
諏訪家を継承していたと
思われる人物です。
そのうえ、彼には
長男・義信(よしのぶ)
次男・信親(のぶちか)
三男・信之(のぶゆき)
の三人の異母兄がありながら
義信は謀反の疑いで廃嫡、
信親は盲目のため出家、
信之は11歳にして死去
という、
抗いがたい流れの中で
武田家を継承することに
なりました。
つまり
「武田家跡取り」として
敬われていたかは
大変疑わしく
「所詮は諏訪の者」
という扱いであった
可能性がある。
初めから逆境の中で
家督を継がねばならなかった
どうしようもない流れに
私は、人生の厳しさや
ご先祖様から継いだ業、
それを背負う魂の覚悟を
感じずにはいられないのです。
「国の滅び」とともに
命を落とすことを
決めてきていたとしたら?
何をどう努力しても
必死にがんばっても
滅びに向かうという
結末の可能性を
承知していたとしたら?
魂は、
一体どれほどの覚悟で
この世に來たのか。
肉体をもったときには
「生きること」が優先され
魂の決めたことや目的を忘れます。
私たちもそうですよね。
しかし、これもまた
私たちにも覚えがあるように
意識的にはっきりと
知らなくとも、
漠然とした予感はあるものです。
武田勝頼公、彼もまた、
常に漠然とした予感が
あったのではないかと思うのです。
望む未來を目指し歩む中で
その未来は虚ろかもしれない、
そこはかとない不安。
彼は正当な当主ではなく
自身の息子、
信勝が当主となるまでの
繋ぎにすぎなかったとも
言われています。
現実として
彼は武田家が滅ぼした
諏訪家の血筋最後の一人。
父は一部の家臣に
崇められる武将であり
常に比べられる一方で
自分は正当な血統を示す
「信」の諱もいただいていない。
自分の生きる意味は何なのか。
自分の役割はどこにあるのか。
自分が生きていていい場所は、どこにあるのか―
この世を生きる人間として
とてもとても不安で、
恐ろしかったのではないかと思う。
そして当主として生きるほどに
父に負けぬように
恥じぬようにと
必死に歩みを重ねるほどに
望む未來が遠ざかる。
孤独になっていく。
それでも生きるしかない。
信長公の言葉を借りるなら、
魂が知る結末にひた走り、
肉体が望む未來に
繋がらないという意味で
「運がなかった」
”そこに運ばれる流れがなかった”
この世の人間として
どれほど怖かったろう、
苦しかったろうと
思わずにはいられない。
それを承知で
この世に降りた魂の
一生分の覚悟と勇氣に、
畏敬の念を抱かずにいられないのです。
========================
武田勝頼公だけでなく
豊臣秀頼公にも
似た香りがあるように
私は感じます。
時代考証の目線は皆無、
あくまで私が感じることです。
私は考えだすと
いつも止められず、
涙が出てしまう。
現代の私たちが
あの時こうしていれば、
彼らはここで誤ったのだと
「分かる」のは
未來から過去を見ているからです。
例えばその頃
織田家が、徳川家が、上杉家が
どういう状況であったのか?
他の地域で何があったのか?
そのような、
当時の人が持ち得ない
衛星から見るような情報を
得ているからです。
たった今動いている時間の中で
未來の絶対視は出來ませんよね。
肉体がそうである一方で
魂はすでに全体の流れを見て
知っていたとしたら。
彼が亡くなった天正10年から
400年以上の後世に生きる
私たちが知る
彼らのどうしようもなさ、
やるせなさを
全て受け入れ
生き抜いたのだとしたら。
やはり私は
魂の強さや奥深さに
圧倒される。
”時間は未來から過去に流れている”
というのを
とても大きく捉えると
こういうことなのかもしれない。
そして戦国ではない
現代に生きる私たちは
もっと自由に生きることが
「自分次第で」
許されているように思う。
戦後の他国からの干渉も
織り込み済みで、そこを起点に
「自由のもと
自分で覚悟を決めて
道をつけ生きること」
を、學ぶため
ここに生まれてきたのでは
ないだろうか。
=========================
今回は誰に伝えるでもなく、
私がたびたび考えていることを
つらつらと書いてみました。
このようなことを
徒然と考える時間、
私は何よりも夢中になります。