妙なスピリチュアルを薙ぎ倒す

私はスピリチュアルを

DO(やる)ではなくBE(在る)

だといつも言っておりますが

 

 

これに加えて

願いを叶えるために使うためでも

能力の有無で一喜一憂すものでもないと

思っております。

 

 

 

堅苦しく構えるものでも

すごいすごいと樂しむものでもない。

 

 

 

至極シンプルで

神秘的で

奥の深いもの

 

 

 

ここ日本には神道があり

自然に対する畏敬の念や

八百万の神様への敬いが

育てられてきたものの

 

 

見えないものを尊び敬う心

 

 

が、薄れてきているように感じます。

 

 

 

自分の欲を叶えることで

頭がいっぱいなことが多い。

 

 

 

スピリチュアルが身近になり

生活に取り入れていくのはいいけれど、

 

 

尊ぶ心がなければ

人の欲を叶える方法論と

見わけがつかなくなる。

 

 

 

そして本当のスピリチュアルから遠ざかる。

 

 

 

 

例えば龍神様は、

その辺にうろうろしている

存在ではないし

 

 

呼んだらついてくるような

ものでもないし

 

 

人が使役するように

「つける」ことなど

出來はしない。

 

 

 

【神様】です。

 

 

 

人間は神様を使役するようになったのか?

 

 

 

大昔の日本で

雨ごい、日照りごいをするのに

専門の職につく者(龍神つかい)が

 

 

心を込めて祈り

願いを叶えていただき

御礼をしてお帰りいただく

 

 

そのように

礼を尽くしていたことを思えば

 

 

世俗的な欲を叶えるために

龍神様をつけたり

呼んだり出來ると聞いたら、

おや?と違和感を覚えるはずだ。

 

 

 

そこで違和感よりも

私も付けてほしい!

と思うとしたら。

 

 

 

改めて心を落ち着けて

スピリチュアルに

向き合う必要があります。

 

 

 

そこをスタート地点にして

本当のスピリチュアルの神秘へと

目を向けていくことで、

 

 

願った幸せな人生へと

自分を導くことが出來るでしょう🌈✨

 

 

 

今回は龍神様を

例にあげさせていただきましたが、

このような話は沢山あります。

 

 

 

私はこんな

「妙なスピリチュアル」を

薙ぎ倒したい、薙ぎ倒す

 

 

 

まずは、日本から。